パーソナル無線よ永遠に!

シズオカAB635/JG2PLR

2015年11月30日 04:04

自分の開設するホームページのライセンスフリーラジオ紹介記事で記述している通り、殆どのパーソナル無線は本年の11月30日で免許が失効となる事から、1982年から続いた33年の歴史の幕が閉じられます。免許更新の時期の関係で11月30日以後も利用可能な免許状も存在しますが、少数に留まっている事から、開局しても交信の相手を見付けるのは困難な状態になると推測します。去り行くパーソナル無線ですが、現役で利用していた頃の思い出を基に触れてみたいと思います。

パーソナル無線との出会いは1984年に遡ります。当時はクルマ文化真っ只中で、若さの象徴はクルマでした。パーソナル無線は人気のカー雑誌(ホリデーオート)に度々取り上げられた事も影響して、自分の仲間内でも瞬く間に普及しました。自分はアマチュア無線の資格は学生時代に取得してましたが、友人に有資格者が少なかった事も有り、クルマにはパーソナル無線しか載せてませんでした。パーソナル無線には趣味としての無線という意識は全く持たず、クルマを連ねて走る友人との重要な通信機器としての利用です。

社会人になって初めて買ったは新車はコレです。毎週末がドライブでしたね。


当時購入したパーソナル無線機は三菱電機のオルフェイスMR1で定価は99,800円でした。野田という浜松市内のローカルブランドのカー用品店にて10%引きで購入したのを覚えてます。パーソナル無線はよく考えられたシステムで、チャンネルという概念はなく、群番号と名付けられた5桁の番号が一致した局同士を空いているチャンネルへ自動誘導する仕組みとなっています。群番00000を利用する事で不特定多数に対するCQ符号通信も可能です。ちなみに当時の運用が現在のフリラ運用と異なる点はコールサインでなくニックネームを利用する点です。自分の記憶の限りでは100%がニックネームでコールサインを使う局はありませんでした。

三菱電機のオルフェイスMR1です。


違法CBからパーソナル無線界に移行してきたグループが複数存在してましたが、当初は群番号が一致さえしなければ電波上で接触する事は有りませんでした。利用者も鰻登りに増えてきた事で規格が改定され、チャンネル数は80から158チャンネルに拡張されたものの、それでもチャンネル数が不足気味になった事から違法CBのOBグループが中心となって改造を施した無線機を使い始め、勝手にチャンネルを拡張したり、特定のチャンネルを固定してクラブチャンネル化するなど行為が横行しました。このような勢力が原因となるトラブルに巻き込まれる一般ユーザーも少なくなく、パーソナル無線機の改造費も5000円程度だったため、一部の一般ユーザーにおいては違法CBのOBグループとの接触を避ける(=逃げる)有効手段として改造を選択する動きも見られました。

1990年代に入り携帯電話の普及に弾みが付くと、パーソナル無線の人口が一気に減少に転じます。ほぼ同じ時期にアマチュア無線も免許人口が減少していますので、趣味というより実用を目的に無線を利用する層が多かった事を意味します。そういう自分も1992年にパーソナル無線の運用を終了しました。また、いつか再開しようと思っていましたが、11月30日を迎える事になり念願は叶いませんでした。

For ever! パーソナル無線!
若き日の楽しい思い出をいっぱい残してくれた事に感謝します。

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